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以前、ベストセラー本で非常識な○○というタイトルが流行りましたね。
それを思い出したので、今回のタイトルにしてみましたw
私、日中は駐車監視員として放置駐車車両の確認作業を行っています。
いわゆる「緑のおじさん」「ミドリムシ」です。
当然、ドライバーが戻ると罵声を浴びせられたり、場合によっては通行人からも非難されたりすることも日常茶飯事です。
まれに、ご苦労様ですと感謝されることもありますが。
そしてこの誹謗中傷って、何年やっても心を乱されてきました。
最近までは、
いつか罰が当たるから気にするのはやめよう
とか
他でも同じようなこと(人に不快感を与える行為)をしているから、既に罰は受けている
とか
思うようにして気にしないようにしていました。
が、それでもどこかで割り切れず、悶々とするストレスを解消できずに感情的になったりしました。
ところが、最近、ふと閃いたのです。
それは、
この人は、八つ当たりしてるんだな。
と思うこと。
道路交通法に違反しているのを棚に上げて、駐車監視員にいきなり食って掛かる。
これは論理的には破綻しています。
ですが、日ごろから人生にストレスや不平不満がある人は、えてしてその発散の機会を意識的か無意識的に探している、そう信じます。
こういった人にとって、我々駐車監視員は格好の標的になるはず。
そこで感情的になり、誹謗中傷する。
これ自体は何の解決にもなりません。
ですが、一時的なうっぷん晴らし、ストレスの解消にはなっている。
例えるなら、
体には良くないとわかっているけれども目先の快楽を優先してタバコをする感じ。
私も以前はヘビースモーカーでした。
あの時は、吸っているときはリラックスできるんです。
でも、吸い終わった瞬間から、また据える機会をうかがっている。
そんな感じでした。
つまりどういうことか?
我々駐車監視員を非難することが一つの憂さ晴らし、ストレス解消になっているということです。
(根本原因の解決にはなっていませんが)
言い換えるなら、我々が彼らのストレスを解消している、という見方もできるわけです。
すると、
彼らの役に立ったということにもつながります。
以前の私は、
言葉にするのもはばかれるような非難をするドライバーに遭遇すると、
罰が当たるから気にしない、
そう思っていました。
ですが、脳は「誰が」はわからない。
だから、他人を非難しても自分を非難するのと同じストレスを脳に与えてしまう。
この逆をする。
つまり、誹謗中傷する人がいたら、その人の役に立ったと思う。
すると、脳は自分が人の役に立ったと思うのです。
これは不快ではなく良いことをしたということになります。
他人から感謝されて、場合によってはなぜかわからずに気持ちが悪いと思うこともあるかもしれません。
ですが、悪い気はしない。
この、非難されたらその人のストレス解消に一役買ったと思うこと。
これは常識破りな処世術ではありますが、一理あるなとも思いました。
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■超短眠1769日目
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本 眠:23:23-03:25(04:02)寝室 布団
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布団で就寝以外の仮眠は除いています。
■いびき情報(スコア42)
※アプリ(いびきラボ)停止時間との誤差があるので、上記数値と画像の数値は一致しない場合があります。
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