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こんにちわぁ。
ひでです。
1日90分睡眠に向けて日々の睡眠結果も記録中です。
睡眠時間をコントロールして減らしたいなぁ、と思ってる方は一緒に頑張りましょう。
まずは今朝(月曜日)の睡眠結果からです。
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【自己覚醒】:379日目
【就 寝】:21:32(目標:22:50)
【起床時間】:02:40(目標:00:40)
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【振り返り】
酒なし。胡坐でだいぶ粘るが最後疲れて横になる。
すぐに寝落ち。
途中、一瞬目が目て、リビングの明かりがついているのを確認するが、程なくして寝落ちする。
起きて時間見て2時台を確認する。
【今日からの修正点等】
だいぶ胡坐座りが楽になったが、まだ寝落ちできるレベルではない。焦らずじっくり行く。
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可愛い は上から目線?
です。
街を歩いていると、幼い子供が親に連れられてよちよち歩く姿や、朝夕の散歩で飼い主と散歩に出ている犬に遭遇します。
そういったシーンを見ると「かわいい」と思います。
まさに存在に癒される、そんな日常体験です。
ですが、先日ふとそういうシーンで違和感のようなものを感じてしまったのです。
その違和感というのが、こういう感想というのは、もしかしたら、上から目線というのがもとにあるのではないか?というものでした。
子どものわんちゃんも自分よりは幼い、あるいは弱いもの。
もっと言うのであれば、自分は彼らよりも力がある、といったおごりが根底にあるんじゃないか?という違和感です。
なぜなら、尊敬する人やちょっと距離を置いている人に対しても、このような「可愛い」という感情が湧くだろうか?と思ったら私は沸きにくいからです。
よく、相手の土俵に乗ってはいけないということを聞きます。
つまり、これは、相手は理不尽なことをしているのだから、そんなレベルの低い人と対等になってはいけないということなのかと思います。
立ち位置としては同じじゃないか?と
もちろんかわいいと思う感情に悪意はありませんが、なんとなく自分が我が子に対する親の立場にいるのと似たような立ち位置からの感情がベースとしてあるように感じました。
少なくとも対等な立場から出る感情ではないなと。
私は、基本、子どもであろうと学ぶべきジャンル、行動の点では先生的な目線でタイするべきだと考えなければいけない、と考えています。
かわいいという素直で悪意のない感情はそれ自体は何の問題もないものです。ですが、それを子どもなり犬なり、その存在すべてに対する感情になってしまうとちょっと違うなという思いを抱きました。
つまり、あの歩き方、散歩している様子が可愛いと感じるのであって、子どもや犬の存在すべてに対してそのような意識でいると、時にうがった見方になってしまうのではないか?
これは、私の中ではまだ確立した感情論ではないですが、従来の自然に感じる感情に対してもっと掘り下げないといけないなという視点を継続していきたいと思いました。
何かの参考になれたら幸いです。
このブログでは、私が日常で感じた中で、これは他の人の気づきや参考になるかも、と思ったことを紹介しています。
さぁ!今日も一日全力投球します。!!
読んでいただき感謝~~
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