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こんにちわぁ。
ひでです。
1日90分睡眠に向けて日々の睡眠結果も記録中です。
睡眠時間をコントロールして減らしたいなぁ、と思ってる方は一緒に頑張りましょう。
まずは今朝(木曜日)の睡眠結果からです。
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【就 寝】:21:34(目標:22:00)
【起床時間】:01:53(目標:01:00)
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【大きな変化】
現状維持
【続けたこと】
シンプルバイブアラーム
日の出の動画を視聴
15分仮眠はなし
【良かったこと】
なし
【反省点】
起きたときに枕から頭が落ちて下にあったため、バイブアラームが聞こえなかった。
【今日どうする】
身体を真横にして寝ていたが、枕から落ちる対策として、右上方向にして寝てみる。
さて、今日のテーマは、
評価と感想の違い
です。
メディアや人の話を聞いていて、思ったことがあります。
話の内容に自分が共感できれば、評価も感想もそう大した違いを感じないのですが、共感できない場合、評価と感想では全く受け止め方が違うと思いました。
ここでいう評価とは、ある事象に対していい悪いを論じること。
感想は、自分はそう思うという個人的な考えを伝えること。
というように定義します。
例えばこうです。
「あの人は間違っている。」
これは評価
「私は、あの人は間違っていると思う。」
これは感想です。
違いは「私は」がないかあるかだけの違い。
感想は、そうか、この人はそう思っているのだな、といった受け止めになります。
ですが、評価だと、その人の主張を自分にも強要されるような印象を持ちます。
だから、その評価に共感できないと強い違和感とストレスを感じます。
なので、人に自分の意見を伝えるときには「私は」という枕詞をつけるように意識しています。
人は基本、他人から強制されることを嫌います。
それが、共感することであれば許せます。
ですが、共感できない場合は拒絶に方向転換されてしまいます。
日本語は主語がなくても成り立つ言語ですが、外国語は主語が明確です。
このことが、もしかしたら、日本人が意見を言い合うのが苦手だと感じる間接的な要因なのかもしれないと思ったりしました。
何かの参考になれたら幸いです。
このブログでは、私が日常で感じた中で、これは他の人の気づきや参考になるかも、と思ったことを紹介しています。
さぁ!今日も一日全力投球します。!!
読んでいただき感謝~~
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